最近、ご近所に立派な能楽堂ができて、にやりとしている加納です。

(でもまだ行ってなくて、機会をうかがっております。)

さて、能ってどうやって見たらいいんですかね?というお話。

能を知らない人から、よく聞かれたりします。好きに見てくださったらいいですし、何か一つ着物とかお面とか興味があるパーツがあればそれを追っかけてくれればいいのですが、そうはいってもようわからん、という声もあろうかと思います。

能は、徹底的に動きや感情表現を抑え、象徴的な舞で進行します。

ストーリーも、内容だけ見たらすごく短くて少ないです。

能のお話は、源氏物語や平家物語、男女の物語の、ある瞬間の一つの場面を切り取っている構成になってます。

言ってみたら、有名なお話の見せ場、クライマックス、ピークだけを切り取って、美味しいとこどりし、それを30分近くかけて見せていくわけです。

人の顔は能面で覆われて、表情はないし。

伴奏は太鼓、小鼓、大鼓、笛、ですが、抑揚がない。

地謡という合唱団がいますが、これもまた抑揚があまりなく、男性の低い声で続いていきます。

徹底的にそぎ落とした表現。絵で言ったらシンボル。何かわかるけど、そこから分かる何かは自分で想像したり感じ取る必要がありますね。

そんな状態なので、なれないうちは、あまりの抑揚のなさに退屈し、眠ってしまう人が続出します。

私は別に、能鑑賞の時に眠ってもいいと思っています。

だって、能はそもそも夢の中とか、亡霊が出てきて語る、幻のお話だから。

夢の世界に入っていっても別に構わないんじゃないかと思ってます。居眠り気持ちいいし、芸術の楽しみ方は自由なので、ひとつの楽しみ方としてOKだとも思ってます。

でも、せっかくだったら、意識がある状態で楽しんでいただけたら(笑)

となると、見る側にも集中力と想像力が必要になってきます。

能の動きは、確かに抑揚はないのですが、ゼロではありません。ちゃんと動いてます。そのわずかな動きに注目します。

動かないものが、ほんの一瞬動く瞬間。
ほんの数センチ単位で少し顔がうつむくとか、扇が傾くとか、静止から動き出しの微細な変化から、張りつめて何もなかった空気がわずかに動きます。

その瞬間を見よう、と思って集中してみてください。

 

徹底して動きをそぎ落としているからこそ、微細な動きが新鮮に際立って見えてきます。

小さな動きを察知しようと集中することで、自分の心と脳が沈静化し、集中瞑想をしているような変性意識状態になります。

集中瞑想って、蝋燭の炎を1点凝視するような方法。

別のシチュエーションに例えるなら、本を読んでいる時や、絵を描いたり、資料か何かを作っているときに、周りのことが気にならず、時間も忘れて夢中になり、はかどっている状態ありますよね。あんな感じに近い。

すると、能役者のほんの少しの動きの中に、感情の機微を感じ取ったり、イマジネーションで抑揚のない世界を想像で補完できたりします。

静寂の中に響き渡る、鼓や笛、地謡の声が体を包み込むようになり、起きて居ながらにして違う世界に飛び込めたかのようになります。

なんか書いていて、一見怪しいワードが並んだ感じがありますが、能は自分から見に行こうとすると、色々見えてくる芸術です。

テレビやSNSで流れてくる動画のように、何もかもわかりやすい形で与えてくれないので、ちょっと感覚の切り替えが必要になります。

主体的にから能の世界に入りにいきましょう。

能は自分の脳で見るんです。

今日ご紹介したコツをもとに、異世界にダイブして楽しんでくださると、いいんじゃないかな?

あ、一応古語が多いので、事前に話の筋は予習して頭に入れておいたほうがよろしいかと思います。知識はあらかじめ頭に入れておいて、観劇する際は知識も常識もすっかり忘れて、素直に没頭してみてください。